この時期ってこんなに寒かったかしら?
私、実はまだダウン着てます(°▽°)
仕事帰り、冷え込みますよね
あぁ寒いって思いながら歩きたくなくって
寒いのは苦手であります
それと、もう4月なのに乾燥ひどくないですか?
もともと乾燥肌なんですけど
冬の時みたいに痒くて痒くてかいてしまい、ちょっと傷になっちゃいました
クリームぬりぬり怠らず気をつけようと思います!
こんにちは
リトリーブサイコセラピー®を使って
なんとなく生きづらい、
感情がわからなくて疲れてしまう人へ
本来の自分を取り戻し
楽に生きられるよう、お手伝いをしています
心理セラピスト 紗籐 ちかこ です
今日は「心配」について書いてみようと思います
あなたは、心配されたらどう感じますか?
嬉しい?あったかい気持ちになる?
心配って、「心を配る」って読みくだけますよね
とてもいい響き
。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。
でも実際は「心配」と聞くと、不安のあとに続く言葉な印象がありませんか?
心配って、誰でもあると思うんですよ
親御さんや、守るもの、人がいる場合は特に、心配が尽きませんよね
大事なものや人がいい状態であって欲しいって、愛情だと思います
今日取り上げる「心配」は過剰なほどの心配、不安のオーラが纏わりついているような「心配」についてです
私のお母さんの話ですが、すごく心配性でした
私が子供の頃はそこまで気付かなかったんですけど大人になって、ずっと抱えていた生きづらさは、この過剰なまでの「心配」が原因のひとつだったんだ、と腑に落ちたんです
私が感じた過剰なまでの「心配」とは例えばこんな感じです
*自転車買ったんだ~🎵
→大丈夫?東京の道路は危ないから気をつけなさい
*実家から東京に戻った時、電話すると
→遅いからタクシーで帰りなさい
(まだ10時前だよ)
*何か事件が起こると
→あたかも私が事件に巻き込まれるかのように結びつける
*今度、〇〇に行くんだ~🎵
→気をつけなさい、本当に大丈夫?
などなど、まずは心配の意見を投げかけられる
私はこういうのにすごく反発していました
自転車買って嬉しかったんだよ!
こんな距離、タクシーなんて乗らないよ!
事件を私に結びつけないで!田舎だって事件起きてるよ!
遊びに行くって楽しいもんじゃないの?
ってね。
これは大人になってからの話ですが
この調子だと子供の頃から心配を向けられてきたんだと思います
詳しくは憶えていないんですけどね
当たり前過ぎたから
その証拠に私は案の定、すぐ悪い方を思い浮かべてしまう、不安回避を軸に行動を決めてしまう子に育ちましたとさ。
めでたし、めでたし、、、、、
めでたくないよ!
(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
こんな感じだったのでそれが普通?
慣れ親しんだやりとりでして、これが生きづらさに繋がっているとは、リトリーブを学んでから腑に落ちました
いやね、心配し過ぎは良くない!ってのはずっと思っていたんですよ
子供のこと心配するって一見、優しさに見えるけど、子供に何かあって悲しい思いをするのは自分だから、自分のために心配してるんでしよ!って思ってましたし、言ってました
でも今、腑に落ちているのは
過剰な心配のエネルギーが向けられた人の生きづらさに繋がるってことなんです
親からいつも心配のエネルギーを向けられると、こんな感じになるかもしれません
*お母さんが悲しまないように安全を、心がけなきゃ
→挑戦できなくなる
*嬉しいことがあって、お母さんに言いたいけど心配しちゃうから言わないでおこう
→喜び、楽しみを感じられなくなる
*お母さんが心配しないような人生を歩もう
→やりたいことが分からない、自分が分からなくなる
*日常の些細なやりたいこと、行動も親に心配や不安を持たれてしまうような気がしてしまい、動きに制限がかかる
→未完了な思いがどんどん溜まり、後悔ばかりに目を向ける人生になる
などなど( ; ; )
心配されたくらいでこんなことにならないよ、と思うかもしれません
でもこれはほとんどが無意識です
自然とこんな風になっていて自分では気付かなかったりします
では、過剰な心配のエネルギーを向けられてきた人はどうやって生きづらさから抜け出したらいいのでしょうか?
それにはまず、親に過剰な心配のエネルギーを向けられたことに気が付くこと、だと私は思います
生きづらさ、苦しさの原因は人それぞれだし、経験してきたことも違います
今回は私の例ですが、それぞれ自分自身で原因をちゃんと見ること、気が付くこと、認識することがとっても大事だと思います
そこから、じゃあこれから私はどうしていきたいか?に繋がる
こうしていきたい、が感じられるようになってくると、それをしたら親が、または大事な人が苦しむかも、悲しむかも、と今までの感覚が出てきて動けなくなるかもしれません
そんなとき、リトリーブサイコセラピーがサポートできると思います
リトリーブサイコセラピーでは、その人を動けなくしている感覚、感情を丁寧に取り扱います
幼少期、大事な人が悲しむのが怖かったり、自分を出したら怖い目にあったりすると自分を守るため、愛する親のために自分の感覚や感情を無意識に閉じ込めてしまうことがあります
その閉じ込めてしまったものを安心できる場所を作り(セッション)、受け止めることをします
少しずつ、安心が感覚として身体に、心に、積み重なっていくようになると
自分の本当に進みたい方へ、動いていけるようになってきます
私はというと、今では、心配はその人のもの
まずは自分に聞いて、必要な意見は受け取る
これはその人の不安を向けられてるな、と思ったらスルーすることができています
心配を向ける人はなにも、苦しめようとしてる訳じゃない
自分自身が不安でいっぱいなんです
その人自身もそうやって心配を向けられたり、他の原因があったりして幼少期に安心を感じられなかったはずです
相手を大事だと思うから心配(その人にとっては愛情)する
失ってしまったら自分が生きていけないと思うくらい大事だから
なので、その大事、ってことは
本当にありがとう、と受け取って
自分がそうしたい、って思うことをやる
本当に些細なことで言うと
人がいっぱい歩いている道で綺麗なお花や風景を見つけても
前だったら写真を撮ることも心苦しかったんです
制限がいっぱいかかっていたんですね
今は人が居ても居なくても綺麗なお花や風景を見つけたら写真を撮って楽しんでいます(^^)
では今日はこの辺で
またのぞきに来てください(^^)/