なんだか恥ずかしい

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寒い日が続いていますね
周りにも風邪やインフルエンザに
かかる人がいて、暖冬といわれて
久しい中にも冬を感じています
皆さん、ご自愛ください

心理セラピスト 紗籐ちかこ です

さて、今日は私の中の
恥ずかしい感覚について
書いてみようと思います

恥ずかしいってどんなときに感じるでしょうか

大勢の中で自分だけ少数派なとき?

みんなの前で間違いを起こしたとき?

隠したかったことを指摘されたとき?

自分をさらけ出したとき?

私目線の恥ずかしいを書きましたが
人それぞれ色々あるのでしょうね

私は恥ずかしいと思うことが多いです
生まれつき大人しくて恥ずかしが屋で・・・
って思ってます、いや、ました?
もちろん、持って生まれた性格が
天真爛漫で明るーいって
感じではないですけどね

しかし、最近じわじわと分かってきたんです
この恥ずかしい感覚は・・・

お母さんの感覚だということが!

よく、こういう部分はお母さんに似たよね
ここはお父さんだね
なんて言いますよね

でもこれって似たんじゃなくて

親の感覚を飲み込んでるのかも

もちろん、遺伝もあるでしょう
でも恥ずかしい、って感覚ですよね?
産まれた時から私、恥ずかしいのって
赤ちゃんいませんよね?

私のお母さんはこんな感じがありました

人前で話すのが恥ずかしい

友人と参加したバスツアーで
クイズが始まり、マイクを渡されるが
頭が真っ白になり答えられない

親戚の結婚式でマイクが
回されたとき言葉が出ない

人にどう見られるか気にしすぎる

お洋服買っても着ないで箪笥の肥やしになっている

一緒に買い物に行って
これ似合うよ~って勧めても
派手だな 若すぎるな って言う

なんか恥ずかしいんだな~って
いつもそんな感じのこと言ってました

いやーソックリですね私
当たり前すぎて気付かないんですよ
でも、今は分かります
この感覚は生まれ持ったものではないんですよ!
ちょっと驚きじゃないですか?

あともうひとつ
恥ずかしい感覚がどうしてあるのか
気付いたことがあるんです
これは、はぁーーーって衝撃でした

私、いつからかわからないけど
特にお父さんに、大人な?気取った?感じを
茶化されてたんです

例えば・・・

中学生頃からコーヒー好きで
しかもブラックが好きだったんですね
それを・・・
ひぃ~ブラックゥ~ カッコいいねぇ~
・・・・・・・・

具体的には忘れてしまいましたが
うぃ~ちかこさんもや、やるねぇ~
・・・・・・・・
このニュアンス伝わるかな?

これって子供がちっちゃいとき
歳に見合わない大人な発言したときに
そのギャップが可愛くて面白くて
だったら、まだ分かります

でも、そんなギャップもないのにからかわれると
自分のしたことが恥ずかしいと勘違いしませんか?
大人になりたいのにそれを許されないような
怒りのような、もどかしさも感じていました

だから大人の感じのことをするとき
何とも言えない恥ずかしさを感じて
ざわざわしてました

会社で電話するとき
親しくない人に社交辞令のような
当たり障りのない会話をするとき など

なぜ茶化すのでしょうか?

それは、親自身が子供のままの感覚なんだと思います

お母さんはよく、自分は子供だって言ってましたしね
お父さんのことも、あの人は子供だ、とも言ってました

自分の子供が大人びていくのを
子供がずっと子供のままでいるように
茶化すことで親の立場を保ちたかったのかもしれません

さて、この必要以上に恥ずかしいと
思ってしまう感覚を持っていると
人間関係で何かと制限ができてしまうし
社会の中で自分を心地よく表現できなくて苦しいし
何かに挑戦することも難しくなります

人は本来、成長したいという欲求を持っています
だからこれがあるとアクセルとブレーキを
同時に踏んでるような
モヤモヤもやもやした感覚になるんですね

こんなイヤな感覚なのに大人になった今でも
大事にもっているのは何故でしょう?
それはズバリ

親との繋がりを感じられるから

このやり取りしか知らないから

この関わりかたをやめて大人になってしまうと
何を感じそうでしょうか?

親との繋がりがなくなくってしまうという
恐怖・孤独・強烈な寂しさ

大人になるって普通でしょ?
と思うかもしれませんが
子供のころから安心して親に
身を任せられなかった、
受けとめてもらえなかったとしたら
イヤでもこの繋がりがとても大事な
親との絆になるんですね
だからもう立派な大人なのに

子供のままでいることで親と繋がっている

私は気付きませんでした
こんなに自分が親と繋がっていたいんだってことに

大人になることは親との絆を切ることだって
親を切り捨てて大人になるって
これって本当でしょうか?
それほど自分の中に安心感がない

でもこれは、いつからだって変えられます
親と嫌な感覚で繋がり続けるのではなく
自分でどんな風に繋がっていきたいのかは
選ぶことができます

自分で選んだ道を歩むとき
どんな気持ちがするか
それをちゃんと感じていく
そこに小さい時の未完了な思いがある

それを丁寧に見ていき、間違った思い込みや
飲み込んでしまった感覚に気づき
本来の自分を取り戻していく

そして
もっと楽に自分を表現して
繋がりたい人と繋がっていく
そんな幸せがきっとあります

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セラピストがお手伝いできるかも
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