こんにちは
リトリーブサイコセラピーという心理療法で対面セラピーと電話カウンセリングをしています
紗籐ちかこ です
寒くなってきましたね
冬という感じがしてきました
今年もあと少しで終わりますね
どんな一年でしたか?
書き出して振り返って自分と対話する時間を持ちたいと思います
さて、前回は嫌な事を避ける回避的な生き方の原因と問題点について書きました
今日は回避的な生き方に潜む「何もしないことがとりあえずの安心」という生き方についてです
回避的な生き方は不安や恐怖が強くて傷付かないように、感じないようにしているという要因がありますがもうひとつ、何かを避けるのではなく特に何もしない、という選択も含まれているように思います
何もしないとは自身の成長や挑戦などに消極的というという意味です
ただ起こることをやり過ごしてるだけ、という感じでしょうか
成長や挑戦をしない生き方になってしまう原因にはどんなものがあるでしょうか?
今回は、親の子供で居ることが役割という生き方について書きます
いくつになっても子供は子供なんだ、と親が言ったりしますが、それは関係性のお話
人は成長するものです
大人になっていくものです
有名なマズローの欲求段階説の最上位は自己実現の欲求と言われ、人間しか持ってないそうです
簡単にいうと、人が自分の能力を活かして外との関係で自分を表現していきたいという欲求ですね
余談ですが最上位だけが成長欲求とし、それ以外は欠乏欲求なのだそうです
興味がある方は調べてみてください
親の子供で居るとは関係性だけでなく、この成長欲求に蓋をして心理的にも親を越えない子供の状態を維持してしまうということです
人は年齢に沿った経験をし成長して、やがて自立していくのです
大人になっていくという表現もありますね
リトリーブ的には自分を生きる、です
子供で居続けるというのは(心理的に)自立せず、大人にならず、自分を生きないで親の支配下にいる状態です
同居しているかどうかは関係ありません
離れて暮らしていても心理的に親の子供の感覚でいるということです
こんな事はありませんでしたか
*親に頼れないと感じていた
*守られているという感覚が無い
*早い段階で親の面倒を見る事を約束させられていた
*親の言う事と同意でないと機嫌が悪くなる
*親のした事を喜ぶよう求められる
*自分の意見を認めてもらえない
*親に心配ばかりされていた
*親が不安定で安心できなかった
親自身が子供なんですね
子供は子供なのに親の機嫌を取り、親を守ろうとし、親の気持ちをなだめ、親に愛の証明を与え、、、、、
子供で在ることは親に無条件に愛される”子供”としてではなく親の下に位置する都合のいい”役割”だったのかもしれません
将来の希望を親子で語ることもなく親に安定を見せること、側に居ることが親の望み
親は自分のことで精一杯なので子供が社会に出て立派に生きていけるようにという視点で見れなかったりします
どうしたい?どうなりたいの?という子供への問いかけが無く、子供の人生は親の都合の中にある一部として捉えられ、ひとりの人間として見ることができないのかもしれません
そんな子供という役割を生きていると無意識のうちに自分の人生について考えなくなり、自分を無力な存在と決めてしまい着実で自然な日々の成長を止めてしまうでしょう
成長について自分の人生について考える機会も持たされず、ただ起こる事をやり過ごす“何もしない”生き方が定着してしまう
しかし、先に書いたように人間には本能的に成長欲求があるのです
なので物理的には親元を離れたり自分のしたい事をしてみたりもしますが無意識に子供という役割を手放せないため、自分に集中できなかったり、成長を放棄して無気力になったり、親に罪悪感を抱えたりします
将来、親の面倒を見る約束が頭にあり今居る場所に腰を据えず仮暮らしをしている感覚で、心理的に親から離れられません
子供の役割のまま自分の人生を考えずにただやり過ごすだけの人生は、生きているという感覚、充実感は得られないでしょう
子供の感覚で大人を生きているという無理が生きづらさの原因になります
では大人になっても親にとって都合のいい子供の役割を続けてしまうのはどうしてでしょうか
それにはリトリーブサイコセラピーで重視している二次利得、メリットがあるからです
生きている充実感が無い人生にメリットなんか無い!と言いたくなるでしょうか
メリットとはこっちよりはマシ、という感覚です
生きている充実感が無い人生より、避けたい感覚、見たくないものがあるということです
ここまで読んでみて自分が都合のいい子供という役割をしてきたと思った方は、それを選んでいるメリットを自分に聞いてみてください
例えば
*役割があれば無価値な自分を感じなくていい
*親との繋がりを感じられる
*子供なことを嫌な事を避ける口実にできる
*成長しなければ等身大の自分を見なくていい(理想の自分を描いていられる)
*成長(あるがまま)を喜ばれない悲しみを感じなくて済む
*自分を生きる=孤立無縁の孤独を感じなくていい
*無条件の愛情をもらえなかった惨めな自分を役割で保っている
*子供のままで居続けることで親に復讐して被害者でいられる
役割や被害者ポジションはある意味、優越感を持っていられるんですね
親の下のポジションの役割を果たして親の相手をしています、と親をどこか下に見ていたり、支配された自分は被害者なんです、と親を責めることがおかしな優越感として機能して、思うように愛されなかった自分への劣等感を感じないように心を保っているのです
欲しかった愛情を貰えずに役割だけ求められたこと、あるがままの姿を受け入れてもらえなかったこと、親の心の葛藤の相手や面倒を見るために利用されていたことなどを実感してしまったら絶望を感じてしまうかもしれません
ですから自分の心を守るためにメリットはあると言えます
でも、あなたは本当に愛されない、受け入れてもらえない、利用されるだけの存在なのでしょうか
親にされた事であなたの価値は決まりません
親にされた事での自分の価値を信じたまま、これからもメリットで自分を守りながら自分の人生を止めたいでしょうか
自分を守るメリットとはいえ、このようなメリットを抱えながら自分を生きることはできるでしょうか
親に聞いてもらえなかった
どうしたいの?どうなりたいの?を自分に聞いてあげてください
問いかけられなかった環境で生きてきた人は自分がどうしたいかも分からないことが多いです
現実的に考えてきていないからです
時間がかかっても自分を諦めないことが大切です
自分の持ち主は自分しかいないのです
現実を直視していくことは痛みを伴います
自分に責任を持つことが基本ですが、それはひとりで乗り越えましょうということではありません
問題の解決にセラピーを活用する事も考えてみてくださいね
あなたの真剣な思いを心を込めてサポートさせていただきます
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