こんにちは
リトリーブサイコセラピーという心理療法でセラピーと電話カウンセリングをしています 紗籐ちかこ です
何か問題が起こった時、あなたは問題をどの方向から見ていますか
自分を見つめましょう、と言われてどうように見つめていますか
よく、自責の人、他責の人、なんて言いますが他責の人とは、あの人が、あの人が、あの人が、、、と相手のことばかり言って自分にも問題があったんじゃないか?と自分の問題という視点で見ることをしない人です
これではいつまで経っても問題は解決しないですね
では自責の人はどうでしょう?
自分に問題があったんじゃないか?と自分の問題とし自分を見つめていくことができる人、ですよね
これなら問題の解決はできそうです
しかし、自分の問題としながら問題がいつまでも解決しないとしたら
自責ではなく自分責めになっているかもしれません
自分を見つめるとはどういうことでしょう
簡単に言えば
事実をちゃんと見ること
自分の気持ち(本音)を認めること
自分がどうしたいか考えること
自分責めは気持ちのいい感覚ではないと思います
なのにどうしてやってしまうのか
自分を責めていれば本当に見たくない、感じたくない事から目を背けられるからです
そして、その自分責めは誰がしていますか?
本当に自分が自分を責めていますか
私が悪いんですよね?と、本当は自分を責めていない人も多いように思います
どういうことかというと人に責められないように先に自分を責めて見せてる、ということが自分の中で起きていませんか?
そしてこれが起きている時、人に責められると感じているということ
相手は指摘してくれているだけかもしれません
事実を伝えているだけかもしれません
それが責められるという感覚に繋がっているとショックを和らげようとして先に自分を責めておく、ということをしてしまう
また、人から変だと思われないように、馬鹿にされないように、恥をかかないように、間違った事をしないように、嫌われないように自分を監視する目を自分で設置しているのかもしれません
自分で設置したその目は自分を顧みるためではなく人からどう思われるか?という他人目線カメラではないでしょうか
自分を傷付くことから守るのが目的で実際は問題を見れていないのではないでしょうか
自分責めは何から自分を守っているのか?
見つめている目は自分を見る相手の目なのではないか?
自分を見つめることが他人目線になっていないか?
見つめる目線を相手からではなく自分に戻して見ていくことが大事です
自分はどう感じたのか
自分はどう思うのか
そして自分はどうしたいか
問題の解決には、まず自分目線になること
例えば
〇〇さんに嫌われている、ではなく
〇〇さんに嫌われていると自分が思っている
という自分軸です
本当に嫌われているかもしれませんし、嫌われていないかもしれません
嫌われているかどうかは問題にはなりません
誰しも嫌われたくはないと思いますが相手の気持ちは相手のものですし、誰も他人の気持ちを変えることはできません
他人目線だと相手次第で自分が揺れ動くことになり本当の問題解決にはなりません
なぜ他人目線になってしまうのでしょうか
育ってきた環境の中で攻撃されたり責められたりした経験があるため、他者を意識して自分を守る生き方になっている
無視や否定をされてきて、そんな恥ずかしい自分を自分が正さないといけないと思っている
とても尊敬できるような親ではなく、こうならないようにと親を反面教師にしている
思うように愛されたという安心の感覚がなく、相手から受け入れられることに執着している
などなど、、、
幼少期に必要だったその他人目線が今の自分にどんな問題をもたらしているか?
今の自分に必要なのか?
見方を間違えていないか?
そこに自分の思いや意志はあるのか?
本当かどうか相手に確認したのか?
振り返ってみることをお勧めします
自分はどう感じたのか
自分はどう思うのか
そして自分はどうしたいか
自分を主語にして問いかける練習をしてみてください
過去の原体験を見ることは辛い痛みが伴います
問題解決が難しい場合は心理セラピーの活用も考えてくださいね
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