明けましておめでとうございます🐇
リトリーブサイコセラピーという心理療法でセラピーと電話カウンセリングをしています 紗籐ちかこ です
皆さんはどんな年越しを過ごしましたか
私は年末年始は実家で過ごしました
コロナが起こってから2回目の実家でのお正月でした
今日はお正月を実家で過ごして感じたことを思いのままに書いてみます
大好きなずんだ餅を頬張りながら・・・
幼少期のアルバムがあるんですけど実家に来た時でもあまり見ることは無かったんです
そして私は幼少期や実家を出るまでの家族の写真、ほとんど無いなーと思っていたんです
それはアルバムをしばらく見ていなかったので記憶が薄れていたのもあるのですが、このお正月にアルバムが目に入る所に置いてあったので見てみたんです
そしたら写真は思ったよりあったんですね
年月からして少ないとはいえ見たら思い出しました
リトリーブに出会って、問題は家族関係からきていると分かってから家族との関わり方の問題を探るにつれ、写真を残すようなあったかい家族じゃなかった、という風に記憶から消していたのかなと思いました
たくさんではないけど家族写真はありました
幼少期どこにも家族で遊びに行ってないと思っていたんですが遊びに行った写真もあったんです
それを見て改めて感じたことは
目に見える形と感情は別のもの
現実を見たくなくて感情は抑圧される
ということです
生きづらさの原因が家族関係からきていると分かってから、そこにあった形を無いものにした私
でも実際写真はあって遊びに連れて行ってもらってるし、抱っこしてもらってるし、写真を残そうとしてくれてる
“幸せそうな写真という形”はちゃんとある
なのに生きづらさを感じてきた私
アルバムを見た時、あれ?実は幸せだった?と一瞬思いましたが私が感じたのは
こんな事してもらったのに生きづらかった私、でした
生きづらさを無いことにはしませんでした
アルバムは欲しかったものを形として見ようとしたのだと思います
本能として無意識に理想の愛着は分かっているから、欲しかったものとして見たのですね
そしてしみじみ、どんな事をしてもらっても気持ちが通い合っていなかったら良い感情は生まれないんだなと思いました
人の幸せは感情感覚が要であることを改めて感じました
とはいえ、形をすべて否定するつもりはありません
どんな気持ちで形を作ろうと思ったのかは分かりませんが、幸せになりたいという気持ちは誰しも持っているものと思います
それは記憶から無くさず留めておこう思います
養育過程がうまくいかないとダメにするか高い理想や完璧を求めるかの白黒思考になりやすいです
生きづらいから私は愛されなかった、とすべてをダメにしてしまう
幸せそうな形が残っているから実は愛されていた、と問題なしにしようとする
こんな極端な考えは自分を苦しめることになりますね
なぜなら自分の感情を抑圧するからです
ダメにすることで楽しい感覚や幸せを感じないようにする
理想を描くことで悲しみや怒りを感じないようにする
見える形や言葉に引っ張られて自分の感情を抑圧するのは現実を認めたくないから
感情を感じることはリアルに現実を感じとることになるからです
生きづらさの原因があったのも事実、幸せになりたいのも事実、心が通い合えなかったのも事実、家族であることも事実
その中で楽しい感覚や嬉しい気持ちも感じるし、悲しみや怒り、寂しさ虚しさも感じるし、いろんな感情、感覚を感じる
そこに理想の形を当てはめない
どんな感情、感覚も受け入れて気持ちが通った自分の形を作っていきたいなと思いました
今日はこんなブログでした
それではまた
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